profile|会社概要やメンバーをご紹介します。
【会社概要】
商号:株式会社うずまき
本社:東京都新宿区四谷三丁目11番17号 第二光明堂ビル5階
MAP
設立年月日:平成23年2月25日(創業 平成19年)
資本金:300万円
代表者:宮田圭介
従業員数:6名
業務内容:ブランディング、宣伝広告、販売促進に関する
企画・制作業務
代表電話:03-6274-8792(営業時間 10:00〜19:00)
取引銀行:さわやか信用金庫 四谷支店
【会社沿革】
2007年10月
代表の宮田がフリーのデザイナーとして活動開始
2008年1月
屋号をuzumaki とし、個人事業として創業
【メンバー紹介】
宮田 圭介(みやた けいすけ)
代表取締役
アートディレクター/グラフィックデザイナー
生年月日
1977年10月2日
出身地
岐阜県
出身校
名古屋デザイナー学院 中退
詳しい経歴▼
1998年3月 |
名古屋デザイナー学院中退。とにかく学校になかなか行けず、課題も出せない(というか、作れない)状態・・・ただ、毎日学校「周辺」には来てて、大型書店や大型CDショップや 服屋をぐるぐるぐるぐるしてました。あと、中古ゲーム屋での発掘作業に情熱を注いだりしてました。
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1998年4月〜2000年3月 |
フリーター時代(某遊べる書店員)お金は無いが、時間はいっぱい。学生時代から引き続き、雑誌と漫画とゲームとCDとオモチャにどっぷり浸かった生活。楽しいんだけども、このままではマズいな〜と思っていたときに初代iMac発売の情報を知り、大興奮。コレしかない!!と発売日に大須(秋葉原と浅草を混ぜたような街)に走る。無事買えた。初めてのマイコンピューターにわくわく。インターネットは、懐かしのダイアルアップ接続でした。23時からのテレホーダイ狙いでピーヒョロロロ〜・・・
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2000年4月〜11月 |
名古屋市内の広告制作会社に就職。不動産のチラシやパンフレットを作りまくる。
当時はあまりに新人すぎて気がつきませんでしたが、今になって言えるのは、上司からイジメを受けてましたね。アレは。粘着系の。あと、経理をやっている社長の奥さんが優しい人で、誕生日には自宅に観葉植物を送ってくれたり普段はカップ麺を夜食として買い置きしてくれていた。週3〜4回はカップ麺食べてたな・・・
この頃は漠然と「30歳で独立したい」と考えていた。
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2000年12月〜2005年4月 |
専門学校時代の同級生の誘いで岐阜県羽島市の広告制作会社に移り、何でも屋状態で作りまくる。地方ならではの混沌とした環境の中で、デザインはもちろん、企画を立てたり、コピーを書いたり、イラストを描いたり。自分なりに試行錯誤を繰り返したこの時期に自分のベースができた感じがする。
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2005年5月 |
岐阜でやれることはだいたいやった!(自分の中で)
というわけで上京する。猫2匹を連れて。
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2005年5月〜2007年7月 |
上京と同時に都内の広告制作会社に入社。
岐阜にいたときと仕事の進め方が違いすぎて戸惑いつつもなんとか順応してゆく。(東京は超・分業。関わる人の数が爆発的に増える。一方、地方は独りでなんでもやる。だからコミュニケーションの面で戸惑った。 )
早朝帰宅して昼前出社な日々。ずっと2.0を保っていた視力は1.0まで落ち、肩こりは慢性化。 右手は当然のように腱鞘炎になり、夜になると眼球は震え、終いにはろれつがまわらなくなったり。デザイナー志望の若者たちよ、これがリアルな 「デザインの現場」だ!(爆)
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2007年8月〜12月 |
退社。なぜか早朝にウォーキングしたり、本を読みあさったり、ひたすら風来のシレンをやったりとしばらくニート生活を存分に楽しむ。少し太る。
これまで、超小規模なプロダクションにしか勤めたことが無かったので、もう1社大きめの会社にも行っといたほうがいいかも…と考えていたので、就職に向けて面接を受けたりする。が、あまりのめんどくささに考え直す。既にフリーとしての仕事も少々やっていたので独立を決心する。フリーランスデザイナーとして活動を始める。
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2008年1月〜2011年1月 |
体が頑丈…というかニブイので、ひたすら仕事をしまくる。
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2012年11月 |
自分が19歳の頃から飼っている猫「にゃん太」が、病気のため永眠。享年16。
これまでの主な出来事を全て共にしてきた相棒のような子供のような存在を失い、これまでに無いほど弱る。が、ペット霊園で火葬に立ち会い骨を拾う→四十九日→百ヶ日 と儀式を経ることで諦めと共に心の整理がついて、また頑張りはじめる。
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2017年4月 |
気付けば就職して17年、上京して12年、独立して10年…?今年10月で40歳になる。
そして歳の割にはイマイチぱっとしないと感じている(汗)
さらにもう一段二段成長したい、今日この頃…
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2022年3月 |
上京時に連れてきていた猫のうちのもう1匹、三毛猫の「モンさん」こと「モンブラン※」が慢性腎不全の末亡くなる。享年20。人間でいうと96歳にあたる長寿。2匹の猫を見送り、自分の人生としても一区切りついた感があり。 ※名前の由来はおおひなたごう氏の漫画作品「おやつ」の登場人物から。
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下段 満美子(しもだん まみこ)
アートディレクター/グラフィックデザイナー
出身地
富山県
出身校
金沢美術工芸大学
視覚デザイン専攻 卒業
詳しい経歴▼
2000年3月 |
金沢美術工芸大学卒業。生まれ育った北陸から東京へ。。。
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2000年4月〜2002年 |
東京都内の広告制作会社に入社。 最初のうちは、右も左もわからず、徹夜も多い日々でした。 3年間勤務ののち退社。
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2002年 |
退社してから、すこしゆっくり東京で暮らしてみました。
そのうち先輩の紹介でファッション広告のアルバイトを始める。
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2003年〜2010年 |
アルバイトしていたデザイン事務所にそのまま社員として入社、
ファッションブランドのカタログやポスター等を制作しました。
様々な撮影の現場に立ち会ったり、本当に貴重な経験をしました。
7年近くの勤務を経て退職。
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2010年〜2013年8月 |
フリーランスデザイナーとして活動していた頃。。。
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2013年9月 |
フリー時代から親交があった宮田氏にスカウトされ、株式会社うずまきに入社。
うずまき女性部員として頑張りたいと思います。
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秋場 千晶(あきば ちあき)
グラフィックデザイナー
出身地
東京都
出身校
桑沢デザイン研究所
総合デザイン科 卒業
詳しい経歴▼
1998年 |
東京の下町で産まれ育つ。父は天ぷら屋の板前で、母は専業主婦。料理が美味しい家庭でのびのびと育ちました。小さい頃から外で遊ぶよりも、家でアニメを観たり、絵本を読んだり、絵を描いたり、インドアタイプの子供でした。遠出は苦手だけれども、動物園は大好きな子供で、天才志村動物園など、動物のテレビ番組が大好きでよく観ていました。
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2011年 |
あるとき、父の使っていたPCを使って絵を描いてみたところ、あまりの楽しさに熱中。下校して暇さえあればマウス片手にひたすら描いていました。後にペンタブを買ってもらい見事にデジタルお絵かき人間に。このときから、絵を描くお仕事がしてみたい、とぼんやりと考えるようになりました。
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2014年4月〜2017年3月 |
高校は美術系の科目を選択できる学校へ入学。部活も美術部を選びました。油絵やアクリルなど、絵の具を使って大きな作品を描くことは、小さなデスクトップに描いてばかりの私にとって、新鮮で貴重な体験になりました。ひたすら自分の好きなものを描き、表現できる夢のような時間、すっかり油絵の虜になりました。
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2017年3月 |
高校卒業間近、進路は美大で油絵を本格的に学びたいと思っていた矢先、親から猛反対され考えを改める。経済的な面での不安があり、私のことを心配しての反対でした。結局、私には油絵で食べていく覚悟と情熱が足りず、別の道を考えます。
別の道といっても、高校で学んだ絵やグラフィックの知識を役立てる職しか選択肢はないと思っていました。お菓子のパッケージや、海外の映画のポスターが好きでよく画像集めをしていたので、ぼんやりとグラフィックデザイナーに憧れるようになります。お世話になっていた先生の勧めで、デザイン系の学校を目指すようになりました。
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2017年4月〜2020年3月 |
桑沢デザイン研究所へ入学。
場所が渋谷という大都会なので、帰りに遊びに行けるじゃないかと言われましたが、そんな暇はありません。毎日課題に追われ、時には徹夜もするぐらい多忙な学生生活でした。ここではイラストだけでなく、ブランディングや装丁、デザインの歴史などをみっちり勉強しました。人と協力しながらひとつのものを作り上げる時間に、楽しさと達成感を感じ、デザイナーとして働きたいという思いがより強まりました。(入学当初はまだ油絵に未練が残っていたので……。)
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2020年4月 |
株式会社うずまきに入社。
実家の犬を溺愛してます。ガチャガチャが好きで、可愛い雑貨をついつい集めがち。まだ右も左もわからないことだらけですが、事務所の一員として日々成長し、貢献できるよう努めて参ります。
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幾島 杏菜(いくしま あんな)
グラフィックデザイナー
出身地
富山県
出身校
東京モード学園
グラフィック学科 卒業
詳しい経歴▼
1998年8月 |
壮大な立山連峰の麓、緑と水が豊かな田んぼのど真ん中で育ちました。草花や砂、雪など自然で遊びを考えて遊ぶ活発な子で、とにかく何でも楽しもう精神が根付いています。とりわけ絵を描くことは大好きで何時間でも描いていられました。
趣味でもあるピアノを4歳から習いはじめ毎日練習したり、柔道のスポーツクラブに通ったりして、今の鋼のメンタルを手に入れました。
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2014年4月〜2020年3月 |
高校生になり将来何をやりたいのかを真剣に考えたとき、絵をかいたり何かを作り出すことのが大好きだったので、芸術方面に行くことを決心。美大予備校に通い、デッサンや油絵を描きながら世界観を広げました。そんな中で、本当に仕事にしたいことは何なのか、他にも可能性があるのでないかと悩み、選択肢を広げるために文系の大学に入学し上京。
大学時代にテーマパークのバイトやパイプオルガンのボランティアなどの様々な活動を経て、やはり自分は何か作ることがしたくなりデザインコンペ等に作品を作って応募。そうしてデザインを仕事にしたいと強く思うようになりました。
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2020年4月〜2023年3月 |
東京モード学園グラフィック学科に入学。この人のもとで学びたいと思える素晴らしい先生に出会えて、本当にやりたいことが見つかりデザインが好きすぎて毎日幸せでした。毎日デザイン漬けの生活を送りたいと思い、過酷な就職活動を経てうずまきに内定を得る。
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2023年4月 |
株式会社うずまきに入社。好物はなすとグレープフルーツジュースで、好きなキャラクターはシナモロールです。バイブルは数百回見ている「のだめカンタービレ」。スーパーやドラッグストアを見て回るのが至福の時です。
グラフィックデザイナーが天職だと思っています。デザイン愛あふれるアシスタントデザイナーとして、素敵なデザインをこのうずまきから世に送り出したいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
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杉山 ひかり(すぎやま ひかり)
アシスタントデザイナー
出身地
静岡県
出身校
女子美術大学 デザイン・工芸学科
ヴィジュアルデザイン専攻 卒業
詳しい経歴▼
2002年6月 |
からっ風の強い浜松市の川のそばで育ちました。器械体操、エレクトーン、ピアノ、英会話、習字、水泳とたくさんの習い事をしてきましたが、中でも水泳は自分の意思で始めたことだったので一番長く続けました。中学でも水泳部に所属し、毎日5000メートル近く泳いでいました。タイムが伸び悩み、悔しい思いもたくさんしましたが、そのおかげで諦めない根気強さが身につきました。
芸術方面に興味を持つきっかけとなったのは、中学の美術の授業でした。初めてアクリル絵の具を使って絵を描いたとき、色の使い方や表現の仕方に、言葉では表せないことや自分でも気づいていない自分らしさを表現することができる感覚があり、新しい体験に心が震えました。
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2018年4月〜2021年3月 |
高校は普通科に進学。プールのない学校だったので、中学で興味を持ち始めた美術部と新たな挑戦である写真部に所属しました。美術部では版画やスケッチ、デッサンをのんびりとやりながら、写真部では年に3回ある地区のコンクールに参加するため、日頃から構図やシャッターチャンスを意識して写真を撮るようになりました。
進路を考えるに当たり、もっと美術やデザインを追求したいという思いがあったため美大受験を決意。美大予備校に通い始め、デッサンや色彩構成を学びました。予備校の先生は、作品のいいところも悪いところもはっきりと言う先生だったので、メンタルが鍛えられましたし、とことん自分と向き合い、自分らしさや自分の武器とは何かを考える濃密な時間となりました。
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2021年4月〜2025年3月 |
女子美術大学に入学。
それぞれ全く違う個性を持った人達に囲まれ、新しい考え方や刺激を受け、焦りも感じる毎日でした。しかし毎日課題に追われていると、夢中になって制作をしている自分がいて、改めてデザインが好きなのだと再確認しました。好きなことを追求し、表現できる環境はとてものびのびしていて恵まれていたと思います。この好きなことが誰かの心を躍らせ、いつか社会のためへと繋がっていったらそんなに嬉しいことはないと思い、グラフィックデザイナーを目指しました。
課題をこなす合間には、高校時代一度離れてしまった水泳ともう一度向き合うため、スイミングコーチのアルバイトをしていました。教わる側から教える側へと立場が変わり、今まで体でやっていたことを言葉にして相手に伝えることがとても難しかったですが、より深く水泳について考える時間になりました。また、生徒と関わるのも楽しく、一人一人違う課題があり、それを解決するためには何を意識すべきかを考えて伝え、解決に近づけたときはとてもやりがいを感じました。
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2025年4月 |
株式会社うずまきに入社。一人暮らしも5年目に突入。実家の味噌汁が恋しくなりました。
THE RAMPAGE from EXILE TRIBE が好きで、ときどきライブに行ってエネルギーチャージしています。まだ分からないことも多々ありますが、持ち前の粘り強さを生かして食らいついていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。
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石川 紗英(いしかわ さえ)
アシスタントデザイナー
出身地
北海道
出身校
名古屋デザイナー・アカデミー
グラフィックデザイン学科 卒業
詳しい経歴▼
2004年8月 |
真夏の晴れの日に愛知県で誕生。絵を描いたり工作をしたりするのが大好きで、夢を聞かれたら靴デザイナーとかファッションデザイナーと答えるような子どもでした。幼いころから親の仕事の都合で引っ越しを何度も経験し、愛知県→埼玉県→静岡県→愛知県→北海道と各地を転々としました。幼稚園は2つ、小学校は3つ通いました。そのおかげで初対面の人と関わるときに人見知りをしないという特技が身につきました。
5歳の時に某国民的男性アイドルグループのラップを歌うメンバーを好きになり、今でもずっと応援しています。
小学校6年生から札幌市に在住。中学生の時に美術部に入ったことでグラフィックデザイナーという職業を知り、将来の夢が固まりました。
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2020年4月〜2023年3月 |
高校は美術系のコースがあるところに入学しました。高校3年間コロナ禍真っ只中だったので制限の多い日々でしたが、周りに恵まれ楽しく過ごしました。美術系のコースは3年生で卒業制作展があるので、放課後に残ったり家で学校終わりや休日に制作したりして、なんとか会期当日を迎えました。多くの人に自分の作品を見ていただいて、とても貴重な経験をしました。
当時から就職は東京がいいと強く思っていたので、進学は道内ではなく本州がいいと考えました。両親にいきなり一人暮らしで東京は心配だと言われ、祖父母の住む愛知県の学校を探しました。
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2023年4月〜2025年3月 |
名古屋デザイナー・アカデミーに入学。毎日課題に追われ、休日は課題かバイト、平日は学校と家の行き来しかしていなかったので少しもったいないことをしたかなと思っています。たまの休日や長期休みはライブや舞台、展覧会のために何度も東京や大阪に足を運びました。
専門学校入学前から就職は東京のデザイン事務所と決めていたので、東京の会社を探しまくり、長すぎる就職活動を経てうずまきに内定をいただきました。
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2025年4月 |
株式会社うずまきに入社。趣味はテレビドラマ鑑賞で、好きなドラマは「謎解きはディナーのあとで」と「MIU404」です。今は自炊を頑張っています。
デザイナーになるという長年の夢を叶えることができたので、うずまきの一員として努力と成長を重ね、世の中の人々をデザインの力で楽しませられるようなものをつくるべく、貢献してまいります。
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